オラトリオ





 雨の音がする。

さぁ、と降りしきるその音を頭のどこかで聞きながらも
義哉の思考はどこか別の場所を彷徨っている。

しかし、どこへ行こうとも彼のいる場所にはやはり雨が降っていた。


 一体いつから降り続いているのだろう、しとしとと頬を濡らす雨を
遮ろうともせず義哉は色を濃くした十字の墓標の前に立っている。

墓標に刻まれているのは写真で面影を知るのみの祖母の名。
そして、数日の後にはここに新たにもう一つの名が加えられることに
なるだろう。

「…ご遺言のとおり、ご遺骨は御婆様の隣に」


義哉の言葉が雨の音に溶ける。


「…これで、いつまでも一緒にいられますね…御爺様」

つぶやいた口元は何の感情も宿してはいない。
しかしおよそ力というものが感じられないその声音は不思議と
一本筋を通したようにはっきりとしていた。


と、彼の肩を叩く雨だれが不意に止む。
差しかけられた黒い雨傘、その持ち主を義哉は顔に張り付く前髪の
隙間から見上げた。義哉と同じ漆黒の服を身に着けたその人物は
彼に声をかけようとするが、義哉の色を失った顔を見てためらったのか
何かを言い出す素振りを見せたきり何も言ってはこない。


「…分かってる」

何を分かっているのか。義哉は自らに問うた。
こうしてここに立って墓標に話しかけていたところでもう祖父は帰ってこないこと。
自分がいつまでも嘆いていては亡き祖父も安心できないであろうこと。
もっと現実的な話をすればここで秋雨に打たれていれば体調を悪くしかねないことも、
十分すぎるほど分かっていた。それでも鎖にでも繋がれたように義哉は
この場所を動けずにいた。

「…帰ろう」

瞑目するように長い瞬きをすると義哉はその鎖を断って歩き出す。
雨が染み込み、その黒を更に深くした喪服が重たく彼に纏わり付いてくるが
それも気に止めない様子で義哉は一歩二歩と足を踏み出す。


「お祈りは…せずともよろしいのですか?」

義哉に傘を差しかけながら後をついてくる男は控えめにそう尋ねてきた。
彼が最後の挨拶もなくずいぶんあっさりと墓標の前を離れたのが気になるのだろうが、
その質問にほとんど間髪を入れず義哉ははっきりと言い放つ。

「しない」

前髪に隠れたその表情はやや険しいものに思えた。

「しないよ、祈ったりなんて」

どんなに願っても、一心に祈っても、決して届かない領域は確かに自らの前に存在する。
この短い期間にそのことが痛いほどに身に染みた。

 祖父は最期の時まで息子夫婦、つまり仕事の関係でいつも遠くへ出ている義哉の
両親との面会を望んでいた。それは義哉も同じで、きっと父と母は帰ってきて
くれると信じていた。だからこそ、日に日に弱っていく祖父の枕元でしきりに
もう少しの辛抱だと声をかけながら義哉は両親が一刻も早く帰ってくるよう祈っていた。
しかし、結局両親は祖父の死に目には会えなかった。
それどころか、両親が仕事先を発ったのが祖父の訃報を聞いてからだったという。
それを知った瞬間から凍り付いたかのように義哉の涙は止まった。
憤りとも哀しみとも、後悔とも諦めともつかない感情がせめぎ合って何だか呆けて
しまっている。それが今の義哉の状態だった。


 「…あの時、言えれば良かったんだろうか。帰ってきて欲しいと。側にいて欲しいと」

「はい?」

信じて祈っているだけではなく、きちんと声に出すことができれば両親に自らの
そして祖父の気持ちは届いたのだろうか。
ぽつりとつぶやいた声が聞き取れなかったのか、尋ね返してくる男に首を振って見せると
義哉は暗く沈む灰色の空を仰いだ。


 「…俺は、御爺様が『元気が出る』と言ってくださったこの声が誇りだった」

深く息を吸うと澱んでいた流れが、少しずつまた流れ始める。

「力の限り張れば、御爺様とお婆様の元にも届くだろうか」

胸の祈りは届かなくとも、どうかこの声は届いて欲しい。
義哉は祖父の墓標の方を振り返るとゆったりとした所作で両手を広げる。


 「御爺様のご冥福を祈って!エールぅぅっ!!」

傘を持った男のぎょっとした顔も、その身に纏わり付く冷たい雨も全てを振り切って
通りの良い声が曇天を引き裂いた。









お疲れ様でした。義哉の昔話プラテをお送りいたしました。
中学校か、その前くらいの時間設定でしょうか。
この後両親とどうして早く帰ってこなかったの何のと大ゲンカして
半ば家出的に寮のある学校を選んで進学・滅多に帰ってこないというやさぐれ息子に
なったという裏設定です(笑)
側にいてくれないなら自分から離れてしまうというある種駄々っ子ですな。

最近の恒例になっているタイトルの話をしますとオラトリオは音楽の形式ではなく
もともとの意味である「祈りの家」という意味からとりました。
祈りというのが似合わないながらも彼のひとつのキーワードだったりなかったりです(何)

何はともあれ、ここまで読んでくださってありがとうございました!





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