『雪華宵』


 境界も見えない曇天がそのまま欠片となって落ちてきているように、
静かに雪は降り積もる。真白な羽毛が落ちてくるような、音のしそうな雪も悪くはないが
やはり粉雪というのは降る姿にもゆったりとした優雅さがある。
そんなことを考えながらアルビレオ・フォーマルハウトは今しも降りしきる雪を
窓を透かして眺めていた。


 「よく降りますこと」

こぼれたつぶやきが窓ガラスを白く染める。すると彼女が背を向ける形になっていた
青年がそのつぶやきを面白そうに捉えた。

「季節が深まればもっと勢い良く降りますよ。ネビュラに雪は降らないのですか?」

「ええ、あんなに南ですもの。それに海に囲まれてひどい湿気…たとえ降っても
こんなに綺麗な雪にはなりませんわ」

振り返ったルビーはにっこりと青年に微笑んで見せた。少し媚びるように甘く
言ってはいるものの、実のところ彼女自身ネビュラを訪れたことは一度もない。
彼女は生まれ育ったデモンズラントを離れてからはずっと飛竜の国ハイフレイムで育ち、
高地に降る雪も見慣れているのだが、野暮の代名詞のようなハイフレイムよりは
ネビュラから来たと言った方が通りがよかろうと偽ってそれを貫いているのだ。
もっとも、青年の方もこの地の小さな領土から出た事はないのだから、多少でまかせを
言ったところで大した問題にはならなかった。

「今夜はたくさん降りそうですね」

入れ替わるように雪を眺める青年にルビーはきょとんと返す。

「お分かりになりますの?」

「いえ、ただ何となくそんな気がしたんです」

「ふふ、おかしな方」

口元に手をやって笑うルビーの細い肩に腕を回して抱き寄せると、青年は雪が落ちるように
静かに囁いた。


「…少し、庭に出てみましょうか」



 青年、キグナスは確かに不思議な男だった。
ハイフレイムよりも更に北、国と言うよりはちょっとした荘園のような地域を治めている彼は、
およそ領主らしさからは遠い人物であることがルビーの目にも明らかだった。
のんびりおっとりしていると言うか、国を治めるものとしては覇気がなさ過ぎる。
父を亡くし、若くして不意に家を継ぐことになったらしいが、その彼の気性が
ただ優しく穏やかなだけだろうかとルビーは判断しかねていた。
弟と別れこの地を訪れた彼女が彼とどのように出会ったのかは忘れてしまったが、
彼はルビーを館に呼び寄せると傾倒ぶりも甚だしく彼女をもてなした。

大きくもないこの国で贅を尽くした振る舞いがそう続くとは思えない。
現に荘民からは厳しい冬を前に厳しい冬を前に税を取り立てられ日に日に不満が
募っていると家臣たちが噂しているのを聞いたのもずいぶん前のことだ。
現在はいつ事が起こってもおかしくはない状態と考えるのが正しいだろう。

すべてがルビーの思惑通りだった。彼女が信奉する邪神テネーブルの求めるものは
人々の不安と世の混迷。キグナスがルビーにのめり込んで行けば行くほど世も人も惑う。
それこそがルビーの望むところだった。
今回は言わばテネーブル教徒としての彼女の初陣であり、とりあえず手近で簡単な男で
練習といこうと思っていたのだが、これならば首尾は上々だ。


 しかし何かが腑に落ちない。おっとりと何事にも執着するようには見えない彼が
数十年来の夫婦のように穏やかに、しかし情熱的な愛を語る姿はルビーにどこか
違和を感じさせた。


 「雪はお好きですか?」

庭を眺めて物思いに耽っていたルビーを引き戻すように尋ねられ、彼女は慌てて
取り繕うように笑う。

「ええ、白いものは好きですの。白はお父様が好きな色でしたので。それに―――」

ふんわりとしたドレスの胸元に手をやって冷たく凍る空気を吸い込めば、
冴え冴えとした感覚が心身に染み渡って行くような心地がする。

「雪のはかないところが、私とても好きですわ」

意外そうに目をしばたかせるキグナスに満足したように、ルビーは悪戯っぽく笑って見せた。

「私には似ていなくて」

なるほど、と吹き出したキグナスとルビーの二人分の笑い声がひと気のない庭に響く。
その笑い声が止んだ頃、彼はするりとルビーの方に一歩踏み出した。


 「はかない六花も良いですが、貴女にはやはり朽ちない花がよく似合う」

そう言ってキグナスはどこに持っていたのか手のひらほどの大きな花を差し出す。
丸みを帯びたペン先のような形をした、つややかな白い花弁が珍しい花だった。

「不朽花、といいます。花の命がとても長く、枯れることがないと言われています。
末永く貴女の美しさを彩ることができたら、と取り寄せました」

言いながらルビーの耳の上にその花を差そうとするキグナスの手を、不意にルビーが制した。

「いけませんわ…キグナス様には定めのお相手がいらっしゃいますのに。
末永く、などと仰られては悲しい期待をしてしまいそうです」

戸惑うような素振りの彼女の瞳の奥にはキグナスを試すような色があった。
ルビーの言うとおり、出会った時からキグナスには婚約者がいた。
相手は近くの荘園の領主の娘。実に典型的な政略結婚だが、相手にも地方で燻ぶっている
領主らしい野心があるのだろう。力を伸ばすためと割り切ればキグナスにとっても
決して悪い縁組ではない。

しかしキグナスはそんなことに構う様子も見せずこうしてルビーに傾倒している。
すでに相手の耳には入っているだろうに、彼が何を考えているのかルビーには
さっぱり分からない。

「そのことは…―――」

ややあってから躊躇するようにキグナスは口を開く。しかしその小さな声を遮って
庭に別の人物が入ってきた。


 「キグナス様!大変です!!」

屋敷で何度か見かけたことがある家臣の一人が息を切らせながら駆けてくる。
キグナスが視線で先を促すと、男は屋敷の眼下に広がる村の方を指差す。

「荘民共の、反乱です!」

「何?」

目を凝らせば確かに松明の明かりが城下に列をなしている。
ついに不満が頂点に達したのだろうか。ルビーは内心ほくそ笑んでいた。

「私たちが追い返します。キグナス様たちはお部屋にお戻り下さい!」

「分かった」

家臣の言葉にうなずくとキグナスはルビーの肩を抱いて足早に部屋に戻る。
再び二人きりの部屋にやってきた時、ルビーは心配そうにつぶやいてみせる。



 「キグナス様…一体どうなるのでしょう…?」

「じきに敵はここまでやってきます。私は殺されるでしょうね」

至極あっさりとした返答に、思わず反応が遅れた。

「彼は私達に自室にいろと言いました。おかしいでしょう、屋敷の外に逃げろだとか
どこかに身を潜めろというのだったら分かりますが。
それに…庭にいた時風に乗って甲冑が鳴る音が聞こえました。農民は甲冑など
持っておりません…恐らくこれは荘民の反乱などではなく、家臣たちと…
義父上が起こしたことなのでしょう」

形はどうあれ、この地が手に入れば婚約者の父である領主の野心は満たされる。
手段と形を選ばない領主と、散財の限りを尽くすこの荘園のいわば疫病神であるキグナスを
疎ましく思った家臣の利害が一致したということだろうか。
大掛かりな罠にはまりながら、しかし語るキグナスは無気味なほどに淡々としていた。

「…だからルビー、貴女は逃げなさい。あなたの力があれば容易いでしょう」

「…!」

今度こそルビーは驚いて心臓が止まるかと思った。
ルビーが悪魔であることは彼に明かしていない。角も黒い翼もダークオーラの力で隠して
一人の人間を装っていたつもりだった。

「…知っていらしたのなら…何故…?」

ようやくそれだけいらえたルビーに、キグナスは優しく笑ってみせる。


 「私は領主の息子に生まれついた時から、ずっと他人の利害の中で生きてきました。
今度の結婚だって、双方の父にとってそれが都合が良かったというだけです。
…そういうものだと割り切っている部分も確かにありました。だけど…」

まっすぐ向けられたままの視線はルビーを見ていないようにも思える。

「誰もがただ従順に利用されるとは限らない。そんなことをしているといつか
しっぺ返しを食らう、と身を以って伝えたいと思ったのかもしれません」

あくまで優しいキグナスの言葉が、刺さるように少し胸が痛んだ。

「どうせ破滅の道を歩くなら、本当に愛する人と行きたかった。貴女が何者であっても」

キグナスはもう一度、不朽花をルビーの耳の上に差そうとした。彼女はそれを
制することなく彼の成すままに任せている。白い花はあでやかに亜麻色の髪を彩った。

「…やっぱり、貴女によくお似合いだ。
私の命はここまでですが、せめてこの花は貴女の命のある限り、末永くお供させて下さい」

この男は一体誰だろう。今まで見ていたキグナスはただおっとりとした、意思の弱い
男にしか見えなかった。しかし今ルビーの目の前にいるキグナスは強く悲しい覚悟を
胸に抱いている。何だか一杯食わされた気分だった。


 「…私、あなたのこと好きでしたのよ」

キグナスの胸に寄りかかるようにしてルビーは彼の頬に手を触れる。
朱色の唇にはいつもの悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。

「私には、似ていなくて」

くすり、とキグナスが笑うのが分かる。

「…だから、あなたには終わらない幸せな夢を見せて差し上げますわ」

ゆっくりとルビーはキグナスに頬を寄せる。彼の注いだ愛情に、すべてを諦めた瞳に、
刹那の幸せで応えようとするように。

「…ありがとう、ルビー」

唇が触れる直前、キグナスは確かにそうつぶやいた。
瞳を閉じてルビーは自らの宿星、黄金と蝿座の力、幻影を見せる『醜着』の力を解放した。



 キグナスを討ち取ろうと乱暴に扉を開けてなだれ込んできた家臣と兵士達は、
しかし一歩入った所で不意に足を止めた。

部屋には倒れたキグナスと、膝枕をする形で彼の亡骸を抱えるルビーの姿。
何が起こったのか分かりかねている彼らに、ルビーは立ち上がり品の良い笑顔を向けた。

「キグナス様はもうお亡くなりですわ。私が魂を頂いてしまったから」

「何っ?!」

じりっと足を擦りながら更に一歩近付いた兵士。するとルビーの背中から隠していた
漆黒の羽が現われ、大きく一つ羽ばたきをする。巻き起こった風に怯んだ家臣たちは
逃げ出しかねない勢いで後ずさる。

「き、貴様悪魔か!?」

頭から生えた二本の角、コウモリのような巨大な翼、ここまで姿を現せばもはや
彼女の正体は誰の目にも明らかだった。

「楽しかったですわ。短い間でしたけど、とても。
この地をテネーブル様が祝福して下さいますように」

投げキッスを一つ残してルビーは窓から飛び立つ。
何やら騒ぐ声が聞こえるが、もはやこの国の未来など彼女の知るところではない。
少なくとも財産はほとんどルビー一人のためにつぎ込んでしまっただろうし、荘民たちの
不満は未だに残っているだろう。
野心家の領主殿とやらが思惑通りこの地を手に入れたとしても、厄介事の種こそあれ
それほどうまみのある土地でもないだろう。


 「おおむねはあの方の思惑通り、ということでしょうか」

軽く利用してやろうと思っていたのに、これではどちらが利用されていたのか。

「…少し、癪ですわね」

耳元の白い花に手をやって、悪魔は南の空に消えた。







 そんなわけでルビーのプラテでした。
時期としてはロストラントに行く前、という感じでしょうか。
こういうちょっぴり切ない出会いもあったんじゃないかなという妄想です。
それにしてもこれと言いロストラントと言い彼女の傾国作戦は意外と成功してませんね(笑)