ウルスラ part.1





 草むらを掻き分け、近所の公園の奥深くへと踏み込んだ先にある木立。
人の立ち入らないその場所が彼は好きだった。
正確には彼はそこ以外に逃げ込む場所を持たなかったのだ。

身を寄せ合うようにして茂る木々の中に紛れていると姿だけでなく
自分の欠点も不甲斐なさも全てを枝葉が隠してくれるような気がした。

膝を抱えて身を小さくしている内に時が足音も立てず通り過ぎていく。
時間から、世界から弾き出されたように彼がそこにいるといつも決まって
そんな彼の元へやってくる者があった。
その約束とも言うべき一条の光明のために彼はこの場所に何度となく
足を運ばずにはいられなかった。


 「こんな所でどうしたの?」

通りすがりのような調子。草を踏み木々の枝を掻き分ける音に乗って
静かに響くその声に、彼は振り返る。



 日が落ちるのもずいぶんと早くなったものだ。
腕時計の文字盤ともはや肩のあたりまで姿の隠れた夕日を見比べて
かけはは自分が今置かれている状況も忘れて感心してしまった。

まだ時刻は四時を半分ほど回ったところだが頂から紺青に染まってく空と
斜陽に腹を朱に焦がす千切れ雲が目を見張るほどに美しい絵を現出している。
この分では一時間としないうちにあたりは真っ暗になるだろう。
かけはは少し歩みを速めた。


 彼は今、人を探していた。
厳密な意味で言えば『人』というのは正しくないのだけれど。
かけはが探しているのは自らのアート、有楽だった。

本来アートというのは主人であるアート使いの側を離れずにいるものだ。
姿を現さないことはあったとしても、アート使いの意思に反してアートが
遠く離れた場所にいるなどということはあまりあることではない。

その珍しい事態がほとんど日常茶飯事になっていることがアート使いたる
かけはの一番の問題点だった。
原因は分かっている。かけはは夕闇と血の色に混ざり合う瞳を薄く覗かせた。
吹く風に流れる漆黒の髪がひとつになってしまいそうなほどあたりの闇は
濃くなってきている。風がいつの間にか大きな雲と共に思っていたよりも
ずっと早い日暮れを運んできたらしい。
ざわざわと音を立てる木々を前にして彼は少し躊躇していた。


 風見の森。
ここは風見ヶ原学園の敷地内にある大きな森なのだが、その大きさの故か
時折生徒が遭難するという不穏な噂が付きまとっている。
噂には聞くものの実際にそんな生徒がいるのか、その真偽もこの学園が
敷地に関しても生徒数に関しても巨大過ぎるが故に確かめることはできない。
しかしそれもあり得ない話ではないとかけはは感じていた。

木々の向こうに見通せぬ闇が口を開き不意に訪れた餌食を歓迎している。
いつもは美しい風見の森が今はひとつの大きな怪物に化けたようだった。


ぽつり。
頬に何か冷たいものが当たって我に返った。
ついに雨が降り始めたようだ。雨粒が地面に枝葉に弾けて
ぱらぱらと音を立てている。

 だったら、なおのこと行かねばならないだろう。
羽織った丈の長いコートのフードをかぶるとかけはは自らにそう言い聞かせて
淡々とした足取りで怪物の中へと姿を消した。

きっと、待っている。



 草を踏み、無遠慮に行く手を遮る低木の枝を掻き分け、道標もないのに
迷いなくかけはは森の奥へ進んで行く。コートのポケットから暗くなった時のため
持ってきた細い懐中電灯を取り出すと彼はそれを顔の横に構えた。
すっかり慣れた所作だ。
そう自嘲の笑みを浮かべたかけはも流石に情けなさを感じていた。
いなくなった自分のアートを探すのに慣れたアート使いなど、少しも誇れるものではない。


 今日のことに関して言えば、原因は分かっている。
有楽は昔から少々気の弱い、内向的な性格だった。加えて臆病で
いつでも逃げ腰の彼はその正体が刀であるにもかかわらず
およそ戦いに向いた気質ではなかった。

おかげでかけはが有楽を抜刀したことはこの十数年の間に数回しかない。
彼の記憶が正しければ最後に抜刀したのはこの学園に入学する際、
入学試験のときに3時間かけてようやく刀を抜くことに成功した時だ。
有楽の気持ちもかけはの命令も意味を成さない。有楽の意識の深層がどこかで強く
戦いを拒んでいるのだろう。そう思うとかけはも有楽のそういった気質を
無理に矯正する気にはなれなかった。

―――構わないよ。ゆっくり前に進めばいい。

アート実習で散々な結果を出す度にかけははそう言って泣き出しそうな様子で
彼に謝る有楽をなだめた。今日だってそうだった。
しかしそれは甘さと言うべき優しさであり、いずれは自滅を招くものだ。
そういうところを教官は指摘したかったのだろう。今日叱責された時
教官にぶつけられた言葉をかけはは思い出していた。

―――アートが能力を発揮できない責任はアート使い自身にもある。
まさにその通りだと思う。彼にもそれは分かっていた。
真に謝らなければならないのは自分であることも。

首の動きに合わせて上下左右させる懐中電灯が常にかけはの視界を照らす。
その光が木々の間に潜んでいた見慣れた影に触れて彼は思考を一時中断した。



 「―――…こんな所でどうしたの?…うら君」






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