ウルスラ part.2





 「―――…こんな所でどうしたの?…うら君」

ここで有楽に出くわしたのがまるで偶然であるかのような、自分はたまたま
通りがかっただけというような口調。静かに雨音に溶けるその声に振り返った
有楽の瞳は投げかけられた光を受け普段よりも鮮やかに照り返した。

「かけ様…」

いつの間にか雨は勢いを増している。胸に差した椿の花にも露が置いていた。
それ以上接ぐ言葉が思い付かないのか黙ってうつむいてしまった有楽の隣に立つと
かけははコートを広げてマントか何かのようにそれで有楽を覆う。
昔もよくこうやって雨を凌いだものだ。笑みと共にかけはの息が白くこぼれる。

「昼間のことなら、うら君が気にすることはないよ」

冷たい地べたに座り込んだ有楽は真っ直ぐ闇を見据えているかけはを見上げる。

「いいえ…有楽が至らないばかりにかけ様まで先生のお叱りを受けて…
申し訳のうございます…」

言葉を詰まらせた有楽は恥じ入っているのか涙を堪えようとしたのか立てた膝に
顔をうずめる。有楽が一度この下降の螺旋にはまってしまうとこれを上昇に
向かわせるのは至難の業だ。困ったような苦笑を浮かべるとかけはは首を傾げて
有楽の方を見下ろした。


 「…うら君。鞘っていうのは何のためにあるんだと思う?」

唐突な問いに有楽はきょとんとする。しかし主人の顔は大真面目そのものだ。
しばし答えに迷ってから、しかし有楽は結局思ったままを答える。

「刀の…携帯に安全を期し、腐食を防止するもの…だと」

言う内に回答に自信がなくなってきたのかどんどん語尾が弱まっていく。
最後の方などほとんど聞こえたものではなかったがかけはは少しあごを
引くようにしてうなずいてみせる。

「そう。鞘っていうのは刀を持つ人と周りの人、そして刀自身を守るためにあるんだよ。
…うら君。君は刀であり、鞘でもある」

念を押すようなかけはの口ぶりに有楽は思わず無言で首を縦に振った。
冷たい空気と濡れた雨音が肺の中に満ちている。一瞬の沈黙がそう感じさせた。


「人と自分を守るためのその優しさを、僕は至らないとは思わない」

かけはは人の目を見て話さないくせがある。いつも気まぐれにどこか遠くへ
向けられている視線が、彼が一番大切なことを口にする時には真っ直ぐ前に
注がれることを有楽は思い出していた。

「僕はきっとうら君以上に戦いを避けている。何とかうら君を抜かずに済むよう
いつも考えてしまっている。至らないものがあるとしたらその心だ」

その心は純粋に優しさではないかもしれないことをかけは自身感じ取っていた。
もっと愚かしい気持ちが自分の中にはきっとある。かすかに眉根を寄せた彼に
有楽は口を開きかけた。


 瞬間。


「えくし」

不意にかけはが少々緊張感に欠けるくしゃみをした。
普通の人のそれならば大して気にもならないが、かけははある特異体質の持ち主ゆえ
そのくしゃみには若干の嫌な予感が伴っていた。すると案の定それを合図にするように
ばさばさと寝床に帰っていたらしい鳥たちが飛び立つ。
木々がざわめく。折れた枝が落ちる音がする。
その異様な物音にかけはは機敏な動作で身を翻した。

そして、彼の視線の先を照らすよう構えた懐中電灯の、その光線を浴びている
『それ』に思わず言葉を、呼吸を忘れた。

それは(さい)のような、しかし実際の犀よりもずいぶんと無骨で武張った印象を
与える生き物だった。ごつごつとしたいかにも堅牢そうな表皮に堂々たる体躯。
鼻先から天に向け伸びた身体と同じ灰色の角が三本。そんな生き物が鼻息も荒く
木々を押しのけ枝を折りながらのそりのそりと歩いてくる。

「……あ…あれ、は…?」

消え入りそうなつぶやきの方へかけはが視線を送ると、硬直した有楽が蒼白な顔で
突如現れた犀の方を見つめている。

「風見の森に怪物が出るってて噂は聞いたことはあったけど…
こんなものが住んでるんじゃ、行方不明者が出るっていうのもあながち嘘とは
言えないかもね…」

虚勢を張るように苦々しい笑みを浮かべるかけは。
風見ヶ原学園にこういった化け物が出現するのは日常茶飯事とは言わないまでも
これが初めてということでもない。そういう学園なのだ。
だからこそこの森についての噂も半信半疑という感じのかけはだったが、
こうして災厄を目の前にしてみるとやはり冷や汗が背中を伝った。

犀の黒く小さな目がこちらを向けられたことで、更に冷たいものがつま先から
頭までを駆け上がる。

「……っっ!」

「うら君、立つんだ!逃げるよ!」

座り込んだまま後ずさった有楽の腕を掴むと彼の身体を引っ張り上げて
かけはは森の中を走り出した。半ば悲鳴のような声を返して有楽もそれについて来る。
しかしそれと同時に犀の方も逃げる二人を追って猛然と駆け出してきた。

動きはそう素早いわけではないが、巨躯が駆ければ見る見るうちに二人との
距離は縮まってくる。いよいよ犀が二人のすぐ後ろまで迫ってきた時
その角をかわそうと、引っ張っていた有楽を今度は押しやるようにして
かけはは身を横の方へ投げ出した。
その動きにわずかに反応した犀の三番目の角が彼の背中を殴っていき、
二人は強か濡れた草と樹の根に顔を、身体を打ち付ける。


「かけ様!大丈夫ですか、かけ様!!」

錯乱した様子で有楽はひたすらに地に伏せたかけはを呼ぶ。
泥なのか今ので擦り傷でも作ったのか筋が引かれた顔が恐怖に支配されているのが
見て取れる。あるいは自分もそんな顔をしているのかもしれない。
雨に濡れて指先までが冷え切っている中、熱く痛む背中を丸めてかけはは身体を起こす。


 このままでは共倒れがいいところだ。かけははよろめきながらも立ち上がると
そう自らに告げた。自分の力では太刀打ちできない。そう、一人では、とても。


―――僕はまた自分の力で全てを解決しようとしている。


自分は今まで有楽の力を借りずに、アートの力を使わずに、
全てを自分で決め、行なってきた。
それは決して強さではなく、むしろどんなことも自分でできるという傲慢だ。

自分が護ろうとしていたものは、護るべきものではなかった。

かけははゆっくりと有楽に視線を向けた。


「―――…うら君、力を貸してくれるかい?」

自分が護ろうとしていたものは、共に戦うべきものだったのだ。

彼の言葉に有楽は逡巡するように間を空けたが、やがて少しの迷いもない瞳で
かけはを見つめ返し首を縦に振る。

「有楽は、そのためにここにおります」


 有楽が胸元に両の手を当てるとそこにぽうっと光が灯る。
その光は徐々に強さを増し、有楽の指の間からこぼれるように筋を描いた。
有楽を『抜刀』する時の光だ。
と、そのときその光の中からゆっくりと黒い何かが頭を出す。

それは、刀の柄だった。

 突き刺さっているかのように胸のあたりから飛び出た、紅い飾り房のついた柄を
掴んだ瞬間、かけはの鮮烈な真紅の瞳が煌めいた。

「―――我が深奥の技を以ってお相手しよう」

武術の心得などありはしない。そのかけはの内に炭火のごとく静かに燃え上がる
闘志と武とがあった。

「猛る(こころ)よ、以って瞑すべし!」

それは有楽の心だとかけはは確信していた。
優しく(にき)ぶる鞘の心に対し、全ての敵を切り伏せ深緋に沈める、荒ぶる刀の心だ。
指先から手のひらから流れ込むその心に研ぎ澄まされた感覚が化け物を捉え、
白刃の意思が絡み付いていた恐れと迷いを絶つ。

「奥義、≪居合≫!!」


紫電。その一閃。
その瞬間にあったのはただそれだけだった。

かけはは彼らをめがけ突進してきた犀を肩先でやり過ごしただけのように見えたが
数瞬遅れて犀の巨躯がぐらりと傾ぐ。地面を揺らしながら倒れこんだ犀を
肩越しに振り返りかけはは眉根を寄せながら微笑した。

「ごめんね。動物相手に刀背(みね)打ちって初めてだから、上手くできなかったかもしれない」

冗談めかして言うかけはの手の中で刀の有楽が光ったかと思うとその光は砂のように
彼の手から零れ落ちて、消える。刀を納めた瞬間にかけはは勢い余って
樹に頭をぶつけるのも気にせずに、後ろに転がるようにしゃがみ込む。

「かけ様?!」

心配そうに有楽が駆け寄ってくるが当のかけはは肩を震わせて笑っていた。
否、震えを笑って誤魔化しているのかもしれない。

「は、は…勝てた…ね…」

力なく、眉をハの字にしながらもなお笑おうとするかけはに、有楽もまた安堵と
脱力を感じて力なく笑う。

「はい…何とか…勝てましたね…」


 雨は、いつの間にか止んでいた。



 「次、福田かけは」

それから数日の後、かけはと有楽はアート実習の追々試験に臨んでいた。
ここでも成果を上げられず最終手段の救済措置としてレポート提出が課せられるのが
かけはの常であり、教官の方も大してかけは達に期待している風もなく、
むしろ早くもレポートの課題を何にするかに神経が向いているような面持ちだった。

「うら君、力を貸してくれるかい?」

教官の前に進み出るとかけはは微笑を浮かべ隣にいる有楽にそう尋ねた。
まるで、呪文か何かのように。
対する有楽も、台本にでも書いてあるかのように澱みなく満面の笑みで彼に答える。
それは確かに、呪文であった。互いが力を発揮するための。

「はい。有楽は、そのためにここにおります」


 次の瞬間、実習場を白い光が明るく照らした。









 お疲れさまでした。
かけはと有楽の関係ってこんなもんという説明に終始したプラテでした(何)
やはり当初の予定よりずいぶん長くなりましたねぇ。
私の見通しが甘いのか、ひとつの話に何でもかんでも入れようとしすぎなのか。
いずれにしてもまだまだ精進が必要です。

基本的に有楽はダメっ子(笑)なのですがかけはもそれとは別の方向で
やっぱりダメっ子なのだというところが私的に書きたかったところでもあります。
自分で何でもできる人ってうっかりしていると誰の力も借りずに一人で何とか
しようとする傲慢さと言うか強情さが出てきてしまうものかな、と。
そんなことを考えつつ書いておりました。

ちなみにタイトルの『ウルスラ』ですが、殉教聖人の一人、聖ウルスラの絵に
マントで女の子達を覆っている絵がありまして、話の中でかけはがコートで有楽の
雨を凌いでやるシーンに似ているなぁというイメージだけで付けたタイトルです(×)
興味を持たれた方はぜひ『聖ウルスラの祭壇画』でイメージ検索をかけてみて下さいませ。
聖ウルスラの話が読めたりもすると思います。

相変わらず盛り上がりに欠けるプラテですがここまで読んで下さりありがとうございました!





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